応援している京大アメリカンフットボール部のホームページを見ていたら小学生ぶんぶ両道教室』を開催します!とのお知らせがありました。素晴らしい取り組みですね。自分も中学生の頃に「NFL子供アメリカンフットボール教室」へ行ったことを思い出しました。その時お世話になったTOUCHDOWN誌の後藤完夫さん(当時編集長)にあらためてお礼を申し上げたいと思います。「後藤さん、有難うございました。今でも自分はアメリカンフットボールが大好きです。いつまでもお健やかに!」(2016年冬)

 後藤完夫さんは2018年4月9日に他界されました。ご冥福をお祈りいたします。

1.第一次NFLブーム:1970年代中頃

(1)アメリカンフットボールが好きになる

 私の生まれた千葉県銚子市は野球の街でした。銚子商業が甲子園へ出る度に、町中が活気に包まれていました。(市立銚子高校、市立銚子西高校も甲子園へ出場と濃い街)
銚子商業木樽正明投手、堺敬生氏撮影銚子商業の斉藤監督の優勝胴上げ
写真の出典:堺敬生氏            写真の出典:銚子商業高等学校
 しかし、私は野球は苦手でした。スポーツは剣道を小学校からやっていましたが、野球では高いフライが取れない少年でした(もちろん、練習もしないでフライを捕れるはずは無いのですが。ゴロは剣道の体さばきのスキルでうまく取れます。バッティングは高校時代に開花)。
 それでも銚子では野球がソウル・スポーツなので、友人が「野球部の練習に来てみなよ」とか、「先輩と作ってる野球チームに来いよ」などと誘うのです。

 銚子で野球が苦手では、辛いものがあります。

 そんな時、テレビ画面から飛び出してきたのがアメリカンフットボールでした。

(2)アメリカンフットボールの魅力

 アメリカンフットボールの魅力は、身体能力の優秀さが第一ではあるけれども、戦術(知性)によって小が大に勝てる可能性があるところです。そして、様々なポジションがあるので一人ひとりの選手の個性に合わせて活躍の場があるのが素晴らしいです。

 テレビでは関学の武田健ヘッドコーチが大学教授らしい知的な解説でペンシルバニア州立大学のシーズン戦の解説者をされていました。当時、アメリカンフットボールは最先端のスポーツでした。中学生はすぐ虜になりました。6人対6人で試合の真似などしてみたものです。防具も付けずにやっているのに、思いっ切りタックルする子とかいて大変でした。

(3)ウエイトトレーニングに励む

 田舎の少年はTOUCHDOWN誌の広告に載っていたアポロ・エクササイザーを買って、ウエイトトレーニングに励みました。
アポロ・エクササイザー
 大学に入ったら、アメリカンフットボールの同好会に入れたらいいなという希望からです。
 (結局、このウエイトトレーニングが不思議な縁になって、早稲田大学では別の運動部に入ることになりましたが、それはまた別のお話です。)

2.Pittsburgh Steelersの名選手が来日

(1)Pittsburgh Steelersの魅力

Steelersロゴ 野球やプロレスに較べ異次元にカッコ良かったのは、やはりプロのNFLでした。そのNFLのテレビ番組を解説していたのがTOUCHDOWN誌の後藤完夫さん(当時編集長)でした。NFLの中でもPittsburgh Steelersは真っ黒なチームカラーに一部ゴールドをあしらい、最高にファッショナブルでした。

 しかも、Pittsburgh Steelersの選手たちはみな個性的で強かったのです。なかでも、スティール・カーテン(鉄のカーテン)と呼ばれた4人の守備ラインには痺れました。ミーン(意地悪な)ジョーグリーンなど、恐ろしくかつ魅力的でした。テレビ画面のなかで相手選手をヘルメットの上からぶん殴っている映像が偶然映り、「ああ、これは本当にミーンなんだ」と(本当のことなんだと)魂を奪われました。(注:防具を付けているので、殴られてもあまり痛くありません。怪我の可能性も非常に低いです。)

スティール・カーテン(鉄のカーテン)

(2)三勇士の来日

 Pittsburgh Steelersは1970年代中頃に、2年連続でスーパーボウルに勝利します。そんな世界一のチームから、3人の名選手が来日してくれました。WRリン・スワン、センターのレイ・マンスフィールド、LBアンディ・ラッセルの三勇士です。アンディ・ラッセルは「プロのライバッカーの教科書」と言われた名選手です。リン・スワンはアクロバットのようなキャッチングを何度も決めた超スーパースターです(第10回スーパーボウルのMVP)。

 銀座ソニービルでのサイン会には駆けつけました。その時もらったサインは宝物です。三勇士と握手をしていただき、とても感激しました。特にアンディ・ラッセル氏の優しげな眼差しが記憶に残っています。感激して強く握手をすると、その気持ちを察してアンディ・ラッセル氏もギュッと強く握り返してくれたのです。

(3)中学生は子供アメリカンフットボール教室に出られない

 そして、Pittsburgh Steelersの選手が教えてくれる「NFL子供アメリカンフットボール教室」も開催されました。しかし、当時中学生であった私は、もう「NFL子供アメリカンフットボール教室」に出られませんでした。「子供」さんが対象でしたので年齢制限に引っかかってしまったのです。嗚呼、なんということか……

 そこで、田舎の中学生はハガキを書きました。宛先は主催者のTOUCHDOWN誌、後藤完夫(当時編集長)さんです。「私はもう中学生でアメリカンフットボール教室に参加することは出来ません。しかし、お手伝い役として参加することは出来ないでしょうか?」と切ない思いを書き綴りました。

3.TOUCHDOWN後藤編集長の優しいお人柄

(1)後藤編集長から返事が来た!

 田舎の中学生ですから東京は遠く、半ばあきらめていたのですが、なんと後藤編集長からお返事が来たのです!「ぜひ、お手伝い役で参加してください。」という有り難く優しいお返事でした。

 アメリカンフットボール教室に参加できるのももちろん嬉しいけれども、当時毎月定期購読し、貪るように読んでいたTOUCHDOWN誌の後藤編集長から直筆のハガキを頂いたのがさらにもまして嬉しかったのです。天にも昇るとはこの事でしょうか!

(2)NFL子供アメリカンフットボール教室に参加

 喜び勇んで中学生の私は、関東のアメリカンフットボールのメッカである駒沢第2球技場へ向かったのです。(銚子市から駒沢までは、おそらく片道4時間以上かかったでしょうが中学生には疲れる暇もありません。)

 駒沢第2球技場へ着くと、持参した運動着に着替えてさっそくお手伝い役に参加します。教室の運営自体は完璧に準備されていましたので、ちょっとした荷物を運んだり雑用係です。それでも、Pittsburgh Steelersの名選手と同じフットボールフィールドに立てたことに感激していました。

(3)TOUCHDOWN後藤編集長の優しいお気遣いの数々

 雑用係で大満足でしたが、楽しむというよりはお手伝いをするという気持ちが大きかったので、たぶんニコニコ笑ってはいなかったのでしょう。そんな中学生を察して後藤編集長が何度も優しいお言葉を掛けてくれたのです。今でもありありと覚えています。

選手からサインをもらってあげようか?」と言ってくれたり、
この子は、わざわざ千葉県銚子市から駆けつけて手伝ってくれてるんですよ」と関係者に紹介してくれたり、
見学者の子供たちに「彼だけじゃなくて君たちもちょっと手伝ってあげて」と言ってくれたり……

4. 第50回スーパーボウル

 後藤完夫さんは、今もお元気で、数日後に開催される第50回スーパーボウルの解説者を担当されます。おそらく、もう現地サンフランシスコに滞在されていることでしょう。

後藤さん有難うございました

 丁度50回大会という節目でもあり、海の向こうにいる後藤さんにあらためてお礼を申し上げたいと思います。
「後藤さん、有難うございました。今でも自分はアメリカンフットボールが大好きです。いつまでもお健やかに!」